真実への扉

生きる理由。この世の真実。神、仏の存在を1人でも多く知って頂き、この地獄のような世界から天国への切符を手にして頂きたい。自身の経験と霊的書物で知った事を分かりやすく説明したいと思っています。

苦しみ、悲しみの真実③

 

苦しみ、悲しみの真実。まとめです。

 

苦しみ、悲しみ、不幸、不運の原因には、道を正す為にやも得ずの場合と自分が犯した過ちが返ってきて反省させる、因果応報の2つの場合があるといいました。

2つとも我々を成長、新化させる為に起きています。

 

ここで大事なのは過ちを過ちと思っていないことがあるということです。

自分では何気ない発言でも他人には傷ついている時もあります。

上から怒鳴りちらしても他人は、すごく傷ついてます。

そして、不倫。立派な泥棒ですし、淫らな行為です。

借りたものを返さない。

親を大事にしない。

自身の成績の為に、他人を利用する。

遅い車や小さな車を煽るのをよく見ます。

煽られている人は恐怖心しかありません。

数えたらきりがありません。

自分では大したことでないと思っていても他人には、

すごく傷ついたり迷惑なものがあり、立派な過ち、罪なのです。

 

仏教では十善戒というものがあります。十悪を戒律としたものです。 

不殺生(ふせっしょう) 故意に生き物を殺さない。

不偸盗(ふちゅうとう) 他人のものを盗まない。

不邪淫(ふじゃいん) 不倫など道徳に外れた関係を持たない。

不妄語(ふもうご) 嘘をつかない。

不綺語(ふきご) 心にもない奇麗ごとをを言わない。

不悪口(ふあっく) 乱暴な言葉を使わない。

不両舌(ふりょうぜつ) 告げ口、中傷、二枚舌を慎む。

不慳貪(ふけんどん) 激しい欲をいだかない。

不瞋恚(ふしんに) 激しい怒りをださない。

不邪見(ふじゃけん) 間違った考え方をせず、正しい判断する。

 

旧約聖書モーセの十戒にも同じ様なことが示されています。

1.わたしのほかに、何ものをも神としてはならない。

2.偶像を作ってはならない。(偶像崇拝の禁止)

3.主、神の名をみだりに唱えてはならない。

4.安息日を覚えて、これを聖とせよ。

5.父と母を敬え。

6.何をも殺してはならない。

7.姦淫してはならない。(道義に反する肉体関係、不倫)

8.盗みを働いてはならない。

9.隣人について、偽証してはならない。

10.他人の物を欲しがってはならない。(他人の妻も含む)

 

これらの戒律、教えは僧侶やキリシタンに限らず一般の庶民、私たちも生活の中で守るべきものと思います。上記のことを守って生きていれば人格、魂の向上、人間としての成長をし、過ちからくる不幸もなくなり運が良い人生を過ごせます。

 

あと、不倫のことですが。男性に限らず女性も最近では、軽い気持ちで不倫をしている方がよくいます。大したことのないように思えますが、かなりの罪のようです。キリスト教では殺人と同じ位の大罪で、イスラム教では死刑になるとのことです。映画やドラマの影響もあるとはいえ、良く考えないといけないことなのでしょう。

 

そして、過ちからくる不運や不幸、苦しみは全て自分に降りかかってくるとは限りません。愛する者や子供に降りかかることもよくあります。愛する者に不幸を与えたほうが悟るのが早いだろう、という法則です。愛する者や子供が重い病気にかかったり、事故にあったり、イジメにあったりということもあるでしょう。

原因は、あなた本人だったりもします。

 

十善戒に示されたことを、ひとつひとつ守って他人の事を考え生きていれば必ずや、不運や不幸、悲しみはなくなり幸せな人生を約束されるはずです。

 

ちなみに余談になりますが。

僕は、改心する前までは大の女好きでした(汗)

昔、不倫の件で、とある住職に"こっぴどく"怒られたことがあります...

「コラ!おまえら!犬や猫でもあるまいし!」

「何、考えてんだっ!馬鹿者っ!泥棒と同じだっ!!」と...

言ってもいないのに、バレました。すごい能力です...。

あと最近では、タイプの女性に会った時、

めっちゃ、なんとかしたいわー。

めちゃ、かわいいじゃん。遊びたいわ~などと思うと、

天から「不邪淫...」と声がします。

その度に「あ~はいはい。わかりました...」

つまんねーな...と思う次第ですが、重要なんですね...。不邪淫。

失礼しました。

 

 

苦しみ、悲しみの真実②

 

苦しみ、悲しみ、不幸が起きる原因はもう1つあります。

それは、貴方が間違えた方向に行ってる時や、もっと貴方を成長させる為に、やも得ず不幸を与えている場合があります。

どうしても納得のいかない時や、どう考えても罰が当たるような事はしていないと思うことがあるでしょう。

でも今現在は、不運だ、不幸だと思ってることでも数ヶ月、数年経ってみると、

あの時は何故と思ったけどこれで良かった。

あの不幸があったから今の自分がある。

あの苦しみがなければ、こうなっていなかった。

みたいな感じの出来事がよくあります。

貴方をもっと成長させる為、正しい道へ歩ませる為に起きている出来事です。

強い信仰心やキリスト、仏教を信じる人であれば、神、仏が、きっと自分の為にしているんだと思えるでしょうが、信仰心がなければ厳しい現実かもしれません。が、自分を信じて良い方向に考え現実を受け止めていただきたいです。

きっと、すべて自分の為に起きているんだと...

決して投げやりな気持ちになったり、ずっと落ち込んではいけません。

すべては自分が成長する為に、もっといい生活ができる為に起きている出来事なのです。人間は成長する為に、進化する為に生きているのですから。

この世の法則。宇宙の法則です。

 

少し長くなりますが僕の例をあげましょう。

25才位から仕事も順調で事業も成功して、贅沢三昧で私利私欲のままの生活をしてました。ところが37才の時にリーマンショックで大赤字、地獄に落とされたように生活は逆転、借金地獄に陥りました。何故、こんなことに!自殺も考えました。が、数年後に本当にあんなことがあって良かったと思えました。

出来事からの3年後、父が他界しました。

贅沢な暮らしをし、実家にも寄り付かずの生活でしたが不運な出来事の後には何かと実家に顔を出すようになり、父との子供の時のような思い出を3年間だけでしたが作れることができました。それだけでも幸せですが、人の為に生きる喜びを得ることもでき以前より本当に幸せだと思えます。贅沢な暮らしはできませんけどね。

 

お寺に通うようになったのも不運からなんです。今現在、札幌の新栄寺と真如院という2箇所のお寺に通ってますが新栄寺は、その事件のどん底の時に仕事で使っていた車が急に故障して、もうあかん、直す金もねーよ。と朦朧として、気が付けば新栄寺に来ていました。真如院のほうは10年以上、事故など起こしてなかったですが厄年にタクシーに激突。流石に、厄払いというものをしたことなかったけど行ってみるかと思いネットで調べて、ここだと思い真如院へ。不動明王は信じていましたが寺に行くことはなかった僕ですが、このことが機で寺に通うようになり、現在の僕がいます。2箇所のお寺とも僕には行かないといけない所だったと思ってます。

 

知り合いのパチンコ関係の会社の社長の話です。

以前、勤めていた会社で急にクビになってしまって、どうして俺がクビなんだ。どうして、こんな事が起きるんだと落ち込んだそうです。が、1年後その会社は不祥事が原因で急に倒産したそうです。今、思うとあの時にクビになってて良かった。あれがなければ今の自分はないよ。と言ってました。

 

このような話は、沢山あります。

一見、不運、不幸、苦しみと思われる出来事も必ず貴方の為に起きているのだと信じてください。

貴方を正しい道へ歩ませるために。

貴方をもっと成長させるために。

愛する者の死も、必ず理由があるものと思います。

 

 

苦しみ、悲しみの真実①

苦しみ、悲しみの真実、原因

 

人間、生きていれば苦しみ、悲しみが必ずあります。

一見、無意味で不幸と思われるこれらの出来事は

 私達を成長させる為に起きているのでした。

寸分の間違えもなく偶然でもなく、すべて計画、法則通りに起きているのです。

 

苦しみ、悲しみの原因は何点かあります。

 

まずは、罰があたる。人様にしたことが返ってくる。

因果応報。ブーメランの法則です。

 

何故、こんな不幸が自分に...と思っても、よくよく考えてみると誰かにした事と同じ様なことや、悪事をした罰として自分に返ってきたと思うことが必ずあるはずです。

それは、昨日したことだったり、数日前にしたこともあるでしょうし、数ヶ月前や数年前にしたことだったりもします。

必ず、原因があるので不幸が起きています。

 

胸に手を当て、目を閉じ思い出してください。

人様にした、悪いと思えることを。

そういえば前に...とか、数年前のあれかと思うことが必ずあるはずです。

人間です。間違えがあって当たり前です。不完全で当たり前なのです。

但し、罰や不幸を悲しみで終わらせてはいけません。

そこから反省して成長しなければいけないのです。

成長させる為に、物事は起きているのですから。

もう、ああいう事をしちゃいけないと。

 

ちなみに自分に返ってくる時は倍以上、およそ3倍位のような気がします。

僕は改心するまでは、罪多き人間でしたので数多くの3倍返しの経験があります。

不幸の連続でした。語ると、きりが無いのでご了承ください。

 

病気の苦しみもそうです。何かしら原因がある時があります。

例をあげると。僕の通うお寺に、足の不自由な年配の女性がいました。

可哀想だと思い「車で家まで送ってあげるよ。」と言ったのですが、寺に通う超霊感を持つおば様に「優しくし過ぎたら駄目よ。なるべくしてなったの、あの人は。数年前まで有名な会社の社長で、人を人だと思わず自分の手足のように使ってきたの。だから足が不自由になったんだよ。」と。

 

僕の母もそうです。近年、常に膝、足腰が痛いと病気が絶えません。

僕の主、仏の不動明王に祈ってもお願いしても治らないので、何故ですか!とキレ気味で問うと「人様を自分の手足のように使った者の足腰を、そうすやすやと治す訳にはいかまい。他の場所なら治してやる。」と声が...

何も言えなかったでした。母は父が生きていた時に、まるで自分の手足のように父を使っていたのです。家にいても、どこかに行くにしても車で送ってけ迎えに来い。どんなに父が疲れていようがお構いなし。他人にも結構そんな感じでした。

反省してくれと言ったが、たいした悪いことをしたと思ってない始末で病状は変化なしです。

ちなみに不動明王の声?と思ったかたもいるでしょうが、僕には少しだけ霊聴という能力があります。そのうち、お話したいと思います。

 

次は、道を正すため。生き方を正す為に起きる悲しみ、苦しみ、不幸です。が、こちらも書くと長くなりますので次の記事にさせていただきます。ありがとうございます。